給料は下がった。でも、家族を選んだ。50歳で乗務員を降りた話

2026年12月、49歳の冬のことです。

私は大型タンクローリの乗務員という仕事を、自分の意思で降りました。

給料はめちゃくちゃ下がりました。
正直、今でも悔やむ気持ちはあります。

それでも私は、この選択を後悔していません

なぜそんな決断ができたのか。
今日はその経緯を、ありのまま書いてみようと思います。

目次

異動が決まった、あの日のこと

事業所の2階にある、小さな会議室。
所長から「乗務員を降りて、構内作業に移ってほしい」と告げられた瞬間のことを、私は今でもはっきり覚えています。

頭に最初に浮かんだのは、「仕方ないな」というひとことでした。

比率にすると、納得が8、諦めが2くらい。

これは、会社から一方的に「降ろされた」のではありません。
実は、私自身が望んでいた異動でもあったのです。

提案された構内の配置は、現場では比較的残業が多い場所でした。
収入面の配慮があったのを感じて、ありがたく思ったのを覚えています。

会議室を出る私は、妙に静かな気持ちでした。
覚悟が決まる、というのは、こういう感覚なのかもしれません。

ちょきまる

本音を言うと、悩みに悩んだ決断でした

なぜ、乗務員を降りたのか

ここはあえて、詳しくは書きません。

ただひとつ言えるのは、乗務員を続けることが、自分にとっても家族にとっても、リスクの大きい仕事だと感じるようになったということです。

大型タンクローリを運転する仕事は、自分と他人の命を預かる仕事でもあります。

万が一のことがあれば、誰かを深く傷つけてしまうかもしれない。
そうなれば、自分の人生も棒に振ってしまう。
そして何より、家族にも迷惑がかかる

子どもたちは、進学を控えていて、お金のかかり時。
収入が下がるのは痛いし、お金で苦労をかけたくない気持ちもありました。

乗務員を続けたい気持ちが、何度も何度もよぎりました。

でも、最悪のケースが起きてしまえば、その「続ける」ことすら難しくなる。

異動が決まる前のおよそ1ヶ月、私はめちゃくちゃ悩みました。

何度も自分に問いかけて、最後にこう決めたんです。

「収入は、自分の努力で何とかできる」

お金よりも、家族と他人の安全を選ぶ。

これが、悩みに悩んだ決断の答えでした。

妻のひとことが、覚悟を決めてくれた

家族には、異動が決まる前から「構内作業に移る可能性がある」と伝えていました。

それでも、いざ「給料が下がる」と告げるのは、苦しかった。

自分のせいで、家族の生活水準が下がってしまう。
そう考えると、口を開くのに勇気がいりました。

ところが、妻の返事は、こうでした。

「お金じゃない。あなたの精神的な安定が大事」

私は、何も言えませんでした。

この言葉が、最後の最後に、私の覚悟を決めてくれたのです。

今でも、ふと思い返します。
たぶん私は、一生この言葉を忘れないと思います。

子どもは高校生と中学生。話せば、ちゃんと理解できる年齢です。

ただ、もともと給料の総額を伝えてきたわけではありません。

「下がる」と話しても、どれくらいの額で、暮らしにどう影響するのか?

子どもたちにはまだピンと来ないようでした。

4か月経った、今の正直な気持ち

あれから4か月。
私は2026年2月に50歳の誕生日を迎え、今も構内作業を続けています。

正直に言うと、最初の1〜2ヶ月は体力的にきつかったです。

今もまだ補佐的な役割で、指示がないと次に何をしたらいいのか、わからない部分もあります。

それでも──

毎日、同じ時間に起きられる。
危険な仕事はない。
日々が、おだやかで安定しています。

精神的には、すごく楽になりました。

ただ。

やっぱり、給料面は悔やまれるんです。

以前のように何でも買える生活ではありません。
生活はあちこち切り詰めています。
乗務員に戻りたいと思う日も、正直あります。

それでも、降りてよかった。
今ははっきり、そう言えます。

だから、副業を始めることにしました

私はあのとき、自分に約束しました。

「収入は、自分の努力で何とかできる」

このブログ「みんなの貯金箱」は、その約束のための第一歩です。

同じように、人生の後半戦で「給料が下がった」「これから家族とどう生きていけばいいのか」と悩んでいる、氷河期世代のあなたへ。

私の小さな試行錯誤が、あなたが一歩を踏み出すきっかけになれば、うれしいです。

ちょきまる

一緒に、無理のない貯金箱を育てて行きましょう!

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