給料は下がった。でも、家族を選んだ。50歳で乗務員を降りた話

給料は下がった。でも、家族を選んだ。50歳で乗務員を降りた話

2025年12月、49歳の冬のことです。

私は大型タンクローリの乗務員という仕事を、自分の意思で降りました。

給料はめちゃくちゃ下がりました。
正直、今でも悔やむ気持ちはあります。

それでも私は、この選択を後悔していません。

なぜそんな決断ができたのか。
今日はその経緯を、ありのまま書いてみようと思います。

目次

異動が決まった、あの日のこと

事業所の2階にある、小さな会議室。
所長から「乗務員を降りて、構内作業に移ってほしい」と告げられた瞬間のことを、私は今でもはっきり覚えています。

頭に最初に浮かんだのは、「仕方ないな」というひとことでした。

比率にすると、納得が8、諦めが2くらい。

これは、会社から一方的に「降ろされた」のではありません。
実は、私自身が望んでいた異動でもあったのです。

提案された構内の配置は、現場では比較的残業が多い場所でした。
収入面の配慮があったのを感じて、ありがたく思ったのを覚えています。

会議室を出る私は、妙に静かな気持ちでした。
覚悟が決まる、というのは、こういう感覚なのかもしれません。

ちょきまる

本音を言うと、悩みに悩んだ決断でした

なぜ、乗務員を降りたのか

ここはあえて、詳しくは書きません。

ただひとつ言えるのは、乗務員を続けることが、自分にとっても家族にとっても、リスクの大きい仕事だと感じるようになったということです。

大型タンクローリを運転する仕事は、自分と他人の命を預かる仕事でもあります。

万が一のことがあれば、誰かを深く傷つけてしまうかもしれない。
そうなれば、自分の人生も棒に振ってしまう。
そして何より、家族にも迷惑がかかる。

子どもたちは、進学を控えていて、お金のかかり時。
収入が下がるのは痛いし、お金で苦労をかけたくない気持ちもありました。

乗務員を続けたい気持ちが、何度も何度もよぎりました。

でも、最悪のケースが起きてしまえば、その「続ける」ことすら難しくなる。

異動が決まる前のおよそ1か月、私はものすごく悩みました。

何度も自分に問いかけて、最後にこう決めたんです。

「収入は、自分の努力で何とかできる」

お金よりも、家族と他人の安全を選ぶ。

これが、悩みに悩んだ決断の答えでした。

妻のひとことが、覚悟を決めてくれた

家族には、異動が決まる前から「構内作業に移る可能性がある」と伝えていました。

それでも、いざ「給料が下がる」と告げるのは、苦しかった。

自分のせいで、家族の生活水準が下がってしまう。
そう考えると、口を開くのに勇気がいりました。

ところが、妻の返事は、こうでした。

「お金じゃない。あなたの精神的な安定が大事」

私は、何も言えませんでした。

この言葉が、最後の最後に、私の覚悟を決めてくれたのです。

今でも、ふと思い返します。
たぶん私は、一生この言葉を忘れないと思います。

子どもは高校生と中学生。話せば、ちゃんと理解できる年齢です。

ただ、もともと給料の総額を伝えてきたわけではありません。

「下がる」と話しても、どれくらいの額で、暮らしにどう影響するのか?

子どもたちにはまだピンと来ないようでした。

4か月経った、今の正直な気持ち

あれから4か月。
私は2026年2月に50歳の誕生日を迎え、今も構内作業を続けています。

正直に言うと、最初の1〜2か月は体力的にきつかったです。

今もまだ補佐的な役割で、指示がないと次に何をしたらいいのか、わからない部分もあります。

それでも──

毎日、同じ時間に起きられる。
危険な仕事はない。
日々が、おだやかで安定しています。

精神的には、すごく楽になりました。

ただ。

やっぱり、給料面は悔やまれるんです。

以前のように何でも買える生活ではありません。
生活はあちこち切り詰めています。
乗務員に戻りたいと思う日も、正直あります。

それでも、降りてよかった。
今ははっきり、そう言えます。

だから、副業を始めることにしました

私はあのとき、自分に約束しました。

「収入は、自分の努力で何とかできる」

このブログ「みんなの貯金箱」は、その約束のための第一歩です。

同じように、人生の後半戦で「給料が下がった」「これから家族とどう生きていけばいいのか」と悩んでいる、氷河期世代のあなたへ。

私の小さな試行錯誤が、あなたが一歩を踏み出すきっかけになれば、うれしいです。

ちょきまる

一緒に、無理のない貯金箱を育てて行きましょう!

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